太郎兵衛もち

 太郎兵衛糯(たろべいもち)は、約400年前の江戸時代の慶長年間から栽培されている在来種の早稲糯米の一種です。戦後間もなく作られなくなったことから、「幻のもち米」とも呼ばれいています。

 太郎兵衛糯は、埼玉県南埼玉郡出羽村(現在の越谷市)の名主・會田太郎兵衛氏が慶長年間に品種名不詳の早稲糯の中から優良種を選び、普及させたことからこの名前がついたものと言われています。この糯米がどのような経路で村に伝わったかは不明です。

 この糯米は甘みがあり、きめ細かくて腰が強く、粘りがあるのが特徴です。明治・大正時代には、御前細糯と呼ばれ皇室に献上されたり、東京の和菓子店で使用されていたほか、赤飯や糯にすると絶品で多くの人たちに食されていました。

 つくばみらい市では「谷原太郎兵衛糯」として戦前まで広く栽培されていました。草丈が約1.4mと人の背丈ほどにまで伸び、台風などで倒れて茎が折れてしまう欠点があるため、栽培に手間がかかり、戦後は品種改良や機械化などが進み徐々に姿を消していきました。太郎兵衛糯(たろべいもち)は、約400年前の江戸時代の慶長年間から栽培されている在来種の早稲糯米の一種です。戦後間もなく作られなくなったことから、「幻のもち米」とも呼ばれいています。

 本多農園では、この「太郎兵衛もち」を、太郎兵衛じいさんの育てたもち米として、直売しています。